日本史に出てくる慣用句を公開

日本史慣用句集

アイウエオ順です。

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ア行 カ行 サ行 タ行 ナ行 ハ行 マ行 ヤ行 ラ行 ワ行


ア行
     浅井四翼あざいしよく
磯野員昌、 大野国定、野村定元、三田村秀俊。
     姉川七本槍あねがわななほんやり
伏木久内、中山是非之助、伊達与兵衛、門奈左近右衛門、渡辺金大夫、吉原又兵衛、林平六。
     尼子十勇士あまごじゅうゆうし
戦国大名・尼子氏の再興に尽力した10人の武士のこと。
江戸初期の軍記物に登場し、実際にあったわけではない。
また人物も一定しておらず、実在していたものとしては 山中鹿之介が有名である。
★18世紀初頭の逸話集「常山紀談」の尼子十勇士
山中鹿介、井筒女之介、川岸柳之介、破骨障子之介、五月早苗介、
上田稲葉之介、尤道理之介、早川鮎之介、阿波鳴戸之介、薮原荊之介
★立川文庫の尼子十勇士
山中鹿之助、秋宅庵之助、寺本生死之助、横道兵庫之助、皐月早苗之助、
早川鮎之助、大谷古猪之助、高橋渡之助、藪中茨之助、荒波錠之助、
     上杉四天王うえすぎしてんのう
上杉謙信を支えた4臣。
直江兼続甘糟景持宇佐美定満柿崎景家のこと。
     上杉二十五将うえすぎじゅうごしょう
     大坂城七将星おおさかじょうななしょうせい
明石全登大野治房木村重成後藤又兵衛真田幸村長宗我部盛親毛利勝永
カ行
     清洲会議きよすかいぎ四宿老ししゅくろう
織田信長死後の領地分割・後継者選びの会議に出席した4人。
池田恒興柴田勝家丹羽長秀豊臣秀吉 のこと。
     黒田二十四騎くろだにじゅうよんき
     黒田八虎くろだはっこ
黒田官兵衛 厳選の家臣八人のこと。
母里太兵衛、 井上之房、 栗山利安黒田一成黒田利高黒田利則黒田直之後藤又兵衛の八人。
サ行
     真田十勇士さなだじゅうゆうし
     賤ヶ岳七本槍しずがたけななほんやり
賤ヶ岳の戦いで特に武功のあった 七人のこと。
片桐且元加藤清正加藤嘉明脇坂安治平野長泰糟屋武則福島正則の七名。
しかし実際は桜井佐吉と石川一光(討死)を加えた九人だったといわれる。
     七雄しちゆう
戦国時代活躍した 今川義元織田信長豊臣秀吉毛利元就北条氏康上杉謙信武田信玄 の七人の英雄のこと。
     戦国せんごく三梟雄さんきょうゆう
戦国時代を象徴する下克上を行った代表格。
斉藤道三北条早雲松永久秀 の三人を指す。
三人とも京都西岡出身とする説もある。
     戦国せんごく三弾正さんだんしょう
武田信玄のもとで 弾正忠を名乗った者のこと。
逃げ弾正こと高坂昌信、 槍弾正こと保科正俊、 攻め弾正こと真田幸隆の三人。
タ行
     武田四天王たけだしてんのう
信玄四天王とも言う。
甘利虎泰板垣信方飯富虎昌小山田昌辰のこと。
     武田四名臣たけだしめいくん
高坂昌信内藤昌豊馬場信房山県昌景のこと。
     武田二十四将たけだにじゅうよんしょう
戦国武将・武田信玄を 支え、その発展に大きく貢献した武将たちの総称。
人数・人物も不確定である。また信玄本人を一人として数える。
穴山梅雪甘利虎泰板垣信方、 小幡信貞、 小畠虎盛飯富虎昌小山田信茂高坂昌信
三枝守友真田信綱真田幸隆武田信廉武田信繁多田満頼土屋昌次
原虎胤原昌胤馬場信房内藤昌豊山県昌景山本勘助などなど。
     筒井つつい右近左近うこんさこん
松倉右近島左近のこと。
     天下三兵法てんかさんへいほう
戦国時代の三大兵法家のこと。
直江兼続島左近真田昌幸
     徳川四天王とくがわしてんのう
井伊直政酒井忠次本多忠勝榊原康政のこと。
     徳川十六神将とくがわじゅうろくしんしょう
徳川四天王に 12人を加えた 徳川家康の功臣のこと。
     徳川二十八神将とくがわにじゅうはちしんしょう
徳川家康 の功臣で日光東照宮に配祀された28人のこと。
井伊直政、 伊奈忠俊、伊奈忠政、岡部長成、大久保忠佐、 大久保忠教、 大久保忠世、
大須賀康高、奥平信昌、 酒井忠次、 酒井正親、 榊原康政、 菅沼長盈、高木正順、 鳥居元忠
内藤家長、内藤信成、蜂屋貞次、服部正綱、 平岩親吉本多忠勝、 本多康高、松平伊忠、
松平康忠、水野勝成、米津浄忠、 渡辺守綱
     豊臣五大老とよとみごたいろう
徳川家康を筆頭に 前田利家宇喜多秀家毛利輝元小早川隆景の五人。
     豊臣五奉行とよとみごぶぎょう
石田三成を筆頭に 浅野長政前田玄以長束正家増田長盛の五人。
     土佐七雄とさしちゆう
ナ行
     南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん
     西美濃三人衆にしみのさんにんしゅう
美濃斉藤氏に仕えた武将。
稲葉一鉄氏家卜家安藤守就の三人。
これに不破彦三と合わせて 西美濃四人衆ともいう。
ハ行
マ行
     三河三奉行みかわさんぶぎょう
徳川家康が 三河統一後、民政・訴訟を担当させた3人のこと。
「仏高力、鬼作左、とちへん(失敗)なしの天野三兵」といわれた 高力清長本多重次天野康景のこと。
     三好三人衆みよしさんにんしゅう
三好長慶に使えた3人の武将。
三好長縁岩成友通三好政康
     毛利両川もうりりょうせん
毛利輝元 を補佐した2人の叔父。
吉川元春小早川隆景 のこと。
ヤ行
ラ行
     利休七哲りきゅうななけつ
千利休に茶の湯の 指南を受けた七名の数寄者。
細川忠興古田織部、 芝山宗綱、 瀬田正忠、 蒲生氏郷高山右近、 牧村利貞のこと。
諸説あり 織田有楽斎が入ったりもする。
     両兵衛りょうへえ
豊臣秀吉 に仕えた2人の知恵袋的参謀。二兵衛ともいう。
竹中半兵衛黒田官兵衛
ワ行


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