裏切り者・浅井、朝倉連合軍との復讐戦

姉川あねがわの戦い
元亀元年(1570年)7月28日

織田信長・徳川家康
連合軍
VS 浅井長政・朝倉義景
連合軍
約2万9000人 約1万8000人
織田信長軍
大将 織田信長 37歳 約2万4000人
佐久間信盛 42歳
坂井政尚 ?歳
池田恒興 34歳
丹羽長秀 34歳
柴田勝家 48歳
森可成 47歳
木下籐吉郎秀吉 34歳
氏家直元 ?歳
安藤範俊 67歳
徳川家康軍
大将 徳川家康 30歳 約5000人
酒井忠次 43歳
小笠原長忠 ?歳
石川数正 37歳
稲葉通朝 55歳
榊原康政 22歳
伊賀定治 ?歳
浅井長政軍
大将 浅井長政 29歳 約8000人
磯野員昌 ?歳
浅井政澄 ?歳
阿閉貞秀 42歳
遠藤直経 39歳
新庄直頼 ?歳
朝倉義景軍
大将 朝倉義景 38歳 約1万0000人
朝倉景紀 65歳
指揮 朝倉景健 34歳
前波新八郎 ?歳
真柄直隆 34歳
浅倉久政 ?歳
六角承禎 49歳

    前置き
義弟・浅井長政の反逆に対して信長がすぐさま攻撃を仕掛ける。
    6月19日
織田信長、岐阜城を出発。
    6月21日
織田信長、小谷城を攻撃。城下に火を放つ。
    6月23日
小谷城の支城・横山城を包囲。これは浅井軍を誘い込むための作戦だった。
    7月27日
徳川家康の援軍・五千が到着。織田・徳川連合軍は総勢二万九千になる。
浅井方にも援軍・朝倉義景が一万の援軍で一万八千となる。
    7月28日未明
姉川北に浅井・浅倉連合軍がでてくる。
誘い込みに成功した織田・徳川軍は横山城の押さえに丹羽長秀軍五千を置き、姉川南に陣を張る。
    長時間に及ぶ戦
戦局の流れ
    7月28日午前四時頃
両軍が姉川をはさむ形で対峙。姉川は幅100m、水深1mほどの川であった。
    7月28日午前六時頃
戦闘開始。
徳川軍が朝倉軍と、織田軍が浅井軍と戦を交える。
    徳川軍VS朝倉軍
徳川軍は数で勝る朝倉軍に徐々に押され始める。
しかし、榊原康政隊に朝倉軍の西側を突かせ形勢は逆転。
朝倉軍が崩れ始める。
    織田軍VS浅井軍
浅井方の磯野員昌が猛攻撃を見せ、織田方の備え十三段のうち十一段まで
打ち破る活躍を見せた。
戦況不利と見て横山城を包囲していた
氏家直元・安藤範俊・伊賀定治が浅井軍を急攻。
また、徳川方に味方していた織田家臣・稲葉良通が西方から攻撃。
三方からの挟み撃ちにより浅井軍は総崩れとなった。
    血の川と化した姉川
浅井・朝倉軍は敗走し、小谷城へと逃げていく。
午後二時、決着が着いた。
織田・徳川軍の戦死者は八百余人、浅井・朝倉軍は千七百余人で川原には死体でいっぱいだったという。
    その後
退却した浅井軍を信長は兵の疲れと敵の守りの堅さを考え、追撃しなかった。
29日には横山城を落とし、木下秀吉に与えた。これで初めて秀吉は城主となる大出世となった。


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