大友方の武将・軍師等の人物紹介

日本史武将伝〜大友家編〜


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ア行 カ行 サ行 タ行 ナ行 ハ行 マ行 ヤ行 ラ行 ワ行


名:一般名 別名:あだ名 生没:生誕〜死没 出身:出身地
名称:名称・俗称・通称
人物の説明


ア行
名:大谷おおたに 盛治もりはる ---- 生没:不明 出身:----
名称:-----
大谷吉継の父という説がある。
大友宗麟の家臣。
名:大友おおとも 宗麟そうりん ----- 生没:1530年1月31日〜1587年6月11日 出身:備後
名称:大友義鎮、フランシスコ
カ行
サ行
タ行
名:高橋たかはし 紹運しょううん ----- 生没:1548年?月?日〜1586年9月10日 出身:筑前
名称:-----
名:立花たちばな ァ千代ぎんちよ ----- 生没:1569年9月23日〜1602年11月30日 出身:-----
名称:宮永様
立花道雪の娘。
色白で美人でありながら男勝りな性格を持っている。
女好きで知られる豊臣秀吉も 彼女に手をつけようとしていたという。
道雪に男児がいなかったためわずか7歳で立花城主となる。
13歳のとき、 立花宗茂を婿として迎えが、 夫婦仲はよくはなく、のちに別居。
関ヶ原の戦いの後、 帰国した宗茂が加藤清正の調停により 武装解除した際、
自ら鎧を纏い宮永御殿に立て篭もり抵抗したという。
その後、隠棲生活を送り34歳で病死した。
名:立花たちばな 道雪どうせつ 鬼道雪 生没:1513年4月22日〜1585年11月2日 出身:豊後
名称:戸次鑑連
若い頃、落雷し下半身不随となる。その際、名刀・「雷切」で雷神を斬ったとされる。
名:立花たちばな 宗茂むねしげ ----- 生没:1567年12月18日〜1643年1月15日 出身:筑前
名称:-----
高橋紹運の実子で 立花ァ千代の婿になり、 立花道雪が義父。
ナ行
ハ行
マ行
ヤ行
ラ行
ワ行


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