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永禄3年(1560年)5月19日 |
織田信長軍 | VS | 今川義元軍 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
約3000人 | 2万5000人 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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前置き |
駿河と遠江を支配する大大名の今川義元が領地拡大(もしくは上洛)のため、尾張の織田信長と争った戦。
織田氏と今川氏は長年小競り合いを続けた関係で、隣国三河を巡って攻防が続いていた。 |
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その後 | |||||||||||||||
その後今川家は衰えていき、支配下にあった松平元康(のちの徳川家康)は独立し信長は手を結ぶこととなる。
こうして東の脅威がなくなった信長は以後西への攻めに専念でき、勢力を拡大させていった。 |
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