三国志演技のあらすじ〜02:漢の簒奪者董卓〜

02:漢の簒奪者董卓

No.4 奪取
董卓にとってはまさに獲物が自ら懐に飛び込んできたようなものであった。
もともと出世欲が人一倍強く、さらに国のトップである天子を手に入れたとなれば鬼に金棒である。
董卓はその中常時の一人を殺し、そのまま都に乗り込んでいった。
ここからの漢の衰退はひどいものであった。

まず自分の独断で劉協を帝にし、劉弁を殺し、自分の成すがまま政治を操っていった。
宮廷では董卓の酒池肉林の生活が始まり、そして街では董卓の部下が自由気ままに暴れまくっていた。
人々は董卓に怯え、都は地獄絵図と化したのであった。

それに立ち向かったのが曹操である。

曹操は一度都を離れ、漢全土の将に呼びかけ勇士を集い、董卓に反旗を翻した。
ここに反董卓連合軍が誕生したのだった。
袁紹を大将とし、総勢数十万といわれる彼らと董卓軍の一大決戦がまさに始まろうとしていた。

このとき起こった戦
No.5 激突
董卓軍はとてつもなく強かった。
さらに最強の武将・呂布を配下に加え、連合軍は攻め手を喘いでいた。
戦場では地が赤く染まり、死体が山をつくる有様だった。

しかし連合軍に参加していた孫堅、そして劉備三兄弟の活躍もありじわじわと董卓に迫った。
ついには董卓のいる都・洛陽に着いた連合軍であったが、彼らが見たのは赤く燃え上がった残骸のみであった。


洛陽が燃えていたのである。








このとき起こった戦
    虎牢関の戦い(190年) ・水関の戦い(191年)
No.6 遷都
董卓は連合軍が迫っているという知らせを聞くと遷都を開始していたのである。
洛陽の金持ちを殺し、財産を奪い、百万の領民を引き連れ、ついてこれない女・子供・老人を容赦なく殺し、長安へと向かっていた。
さらには洛陽に火を放ち、見るも無残な姿に変えていった。
曹操はこれに怒り、単独で追撃を開始するも道のりに董卓の伏兵が隠れており中止せざるを得なかった。
また集った連合軍の将は時勢に乗って参加しただけであって心がひとつになっておらず士気も堕ちていった。
曹操・袁紹はしかたなく連合軍を解散したのだった。

もはやこの世に董卓を止める者はいないとさえ思えたが董卓の暴政は意外な形で幕を閉じる。






このとき起こった戦


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