その後、官軍の必死の抵抗や黄巾の頭・張角の病死もあり黄巾賊を鎮圧することができたが、その混乱は収まらなかった。
都では霊帝の跡継ぎ問題が発生していたのである。
後継者候補は中常時が支持する劉協(献帝)と時の大将軍・何進が支持する劉弁(少帝)で真っ二つに分かれていた。
劉弁はぶさいくで頭も悪いのに対し、劉協は顔立ちもよく気品もあった。誰が見ても劉協を次の帝にすべきだとわかったが
何進は自分の妹が産んだ子であり中常時も自分たちの地位のために争いあっていたのである。
中常時は何進暗殺計画を練り、何進を暗殺することができた。
だが、これに怒った袁紹はその知らせを聞くやいなや兵を引き連れ宮廷に乗り込み、中常時を皆殺しにしたのだった。
しかし、中常時の一人が劉協、劉弁を人質に都から逃げ出していたのである。
帝を持っていればどうにでもなると思っていた彼だが、目の前に現れた者は不運にも兵を引き連れた董卓だった。
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