三国志演技のあらすじ〜01:十常時の暴政と黄巾の乱〜

01:十常時の暴政と黄巾の乱

No.1 桃園の誓い
時は二世紀後半、場所は中国大陸。
当時、中華を治めていた後漢の権威は地に落ち、中常時と呼ばれる10人の宦官の暴政によって人々は苦しめられていた。
忠臣は罪を着せられ、農民には重い税を貸せるなど横暴の限りをつくし、人々の反感をかっていた。
そういったこともあり中国各地では反乱がおこった。黄巾の乱と呼ばれるものである。
彼らは頭に黄色の頭巾をかぶり、旗にも好んで黄色を使っていたことからそう呼ばれていた。
そして旗には「後漢の時代は終わった、今こそ黄巾の時代だ」とかいて後漢にかわり、中国を治めようとした。
同時期、この現状を打開すべく一人の男が立ち上がった。
草履を売る母のもとに育った劉備玄徳である。

貧しい家庭に育った劉備だが仁義が厚く、人々にも好かれていた。
ある日、黄巾討伐の義兵募集の立て札を見ていたとき巨漢で肉屋の張飛、長身の関羽と知り合い意気投合。
彼らは、劉備の家の庭の桃園で「われら、生まれたとき違えども、願わくば同年同月同日に死なん」と義兄弟誓いを立てた。
のちに蜀を建てる劉備玄徳が世にでたのだった。
このとき起こった戦
No.2 出征
さっそく劉備たちは有志を集い、私財をなげうって武器を調えた。
装備はお世辞にもいいものではなかったが劉備三兄弟はどこか気品を感じるものだった。
彼らは官軍とともに義民兵として参加し、関羽・張飛の腕っ節の強さもあって大きな貢献をした。
官軍が何日かけても倒せずにいた黄巾賊の将を関羽ただ一人で向かっていきその首を一瞬で刎ねるなど、 あきらかに他のどの軍にもいないくらいの強さを見せていた。

しかし、官軍は義民兵というだけで見下し大した恩賞ももらえなかったのである。
官軍の将軍が彼らを冷たい目で見る中、一人だけ他とは違う視線を送るものがいた。
彼こそがのちに最大のライバルとなりうる曹操孟徳であった。



このとき起こった戦
黄巾の乱(184年)
No.3 後継者
その後、官軍の必死の抵抗や黄巾の頭・張角の病死もあり黄巾賊を鎮圧することができたが、その混乱は収まらなかった。
都では霊帝の跡継ぎ問題が発生していたのである。

後継者候補は中常時が支持する劉協(献帝)と時の大将軍・何進が支持する劉弁(少帝)で真っ二つに分かれていた。
劉弁はぶさいくで頭も悪いのに対し、劉協は顔立ちもよく気品もあった。誰が見ても劉協を次の帝にすべきだとわかったが 何進は自分の妹が産んだ子であり中常時も自分たちの地位のために争いあっていたのである。

中常時は何進暗殺計画を練り、何進を暗殺することができた。
だが、これに怒った袁紹はその知らせを聞くやいなや兵を引き連れ宮廷に乗り込み、中常時を皆殺しにしたのだった。
しかし、中常時の一人が劉協、劉弁を人質に都から逃げ出していたのである。
帝を持っていればどうにでもなると思っていた彼だが、目の前に現れた者は不運にも兵を引き連れた董卓だった。


このとき起こった戦


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