三国時代となるきっかけとなった農民の反乱

黄巾こうきんらん
184年2月〜12月

官軍 VS 黄巾党軍

    前置き
中国全土で起こった大規模な反乱。
張角を太平道人、 その弟の張宝を地公将軍、 張梁を人公将軍とし、太平道という宗教結社の信者を集め
蒼天既に死す、黄天まさに立つべし」を スローガンとして、数十万人が後漢に対し反旗を翻した。
三国志演技では張角は妖術を使えており、官軍を苦しめたという。
    劉備軍 VS 張梁軍
劉備は張梁を退治しにむかったのだが、張梁の陣に行くには崖によって閉ざされた狭い一本道を通るしかなかった。
張梁はそこで妖術を使い風を起こし矢を放ったため、官軍は進行を停止せざるをえなかった。
張梁の妖術でつくったとされる風はおそらくその不思議な地形によってできたものであろうが、 摩訶不思議な術をつかわれ、全く歯が立たない官軍の士気は衰えてしまい、どうすることもできなかったのである。
そこで劉備は張梁の隙を突くため、険しい崖を上り、見事敵陣の背後にたどり着いたのである。
劉備はそこで魔払いのマネをし兵から妖術の恐怖を取り払い、張梁軍を破った。
    その後
その後の黄巾賊は頂角の病死もあり急速に衰退していった。
しかしこの反乱は人々に漢政権への疑惑を抱かせ、つぎの時代を予感させるものであった。


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