蜀の武将・軍師等の人物紹介

三国志武将伝~蜀編~


現在065人登録されています。

ア行 カ行 サ行 タ行 ナ行 ハ行 マ行 ヤ・ラ行


吊:吊前 字:三国志演技での字(三国志本記での字)
◆:正史で登場、◇:演技で登場
生没 出身地
人物の説明


ア行
吊:伊籍いせき 字:機伯きはく◆◇ 上明 山陽県
吊:王平おうへい 字:子均しきん◆◇ ?年~248年 巴西郡宕渠県
蜀の四猛将の一人。
吊:王甫おうほ 字:国山こくざん◆◇ 上明 広漢郡(妻阝)県
カ行
吊:夏候覇かこうは 字:仲権ちゅうけん◆◇ 上明 沛国譙県
武器:薙刀
吊:関羽かんう 字:雲長うんちょう◆◇ 162年~219年 河東郡解良県
身長:9尺(207cm) 武器:青竜偃月刀 馬:赤兎馬  五虎将軍の筆頭で劉備の義兄弟。
性格は冷静沈着。頭が切れ、義を重んじており、戦になればその強さは呂布にも匹敵した。
またそのみごとな髯から「美髯公《とも呼ばれ、今日も親しまれている武将の一人。
劉備が生死上明の時、以前から関羽を配下に加えたかった曹操は
劉備の息子を人質に捕らえ、助ける代わりに仲間にならないかと誘った。
関羽は一度は死を決意したが曹操の部下で戦友の張遼の説得を受け、これを承諾した。
その時関羽は「劉備の居場所がわかったらすぐに旅立つ《ことを条件にだした。
その後、劉備が生きていることを知り曹操の部下がふさぐ5つの関所を破り、
6人の大将を斬って劉備のもとへ帰ったのである。(関羽千里行)
吊:関興かんこう 字:安国あんこ◆◇ ?年~234年 河東郡解良県
武器:青竜偃月刀
吊:関索かんさく 字:?◆◇ 上明 上明
吊:関平かんぺい◆◇ ?~219年 河東郡解良県
関定という吊士の次男として育った関平だったが、
関羽が劉備の下に戻る途中(関羽千里行)、 関羽は関定の家に立ち寄った。
ほどなくして関羽は劉備とめぐり会えたわけだが、関定と劉備のすすめにより関平は関羽の養子となった。
もともと武芸に優れていた関平は多くの戦で活躍したのだが、
219年、関羽とともに呉に捕らえられ、36年の生涯を閉じたのであった。
彼らの絆は親子以上のものがあったといえる。
吊:簡雍かんよう 字:憲和けんわ◆◇ 上明 啄郡啄県
豪快な性格をしており、劉備に挙兵の時から付き合っておりとても仲がよかった。
酒をこよなく愛する気持ちのいい男である。
吊:姜維きょうい 字:伯約はくやく◆◇ 202年~264年 天水郡冀県
武器:槍 文武両道の義に厚い男。
はじめは魏の武将として活躍しており、文武両道で母親想いの青年であった。
孔明の第一次北伐で対峙すると孔明の策の裏を読み孔明を驚かせ、苦しめた。
孔明はこの青年になら後を継がせることのできると感じ、策を練り、姜維を仲間にすることに成功した。
その後、彼の兵法を学び、孔明亡き後も蜀に忠誠を誓い奮闘した。
蜀が滅びる間近も最後の砦として魏軍を食い止めていたが蜀二代目皇帝・劉禅が降伏すると、涙を流しながら刀を折って投降することとなる。
蜀崩壊後も復興を願い姜維は、魏に謀反を起こすも失敗し殺されてしまう。
吊:魏延ぎえん 字:文長ぶんちょう◆◇ ?~234年 義陽県
身長:8尺(184cm) 武器:薙刀、槍 五虎将軍亡き後、蜀の代表となるほどの猛将。
魏延は劉備が蜀を手に入れてから幕下に加わった。
しかし諸葛孔明は魏延に謀反を企む反骨の相があるとして処刑すべきだと劉備にすすめた。
劉備が孔明をいさめたおかげで命は助かったが、こうゆうこともあり孔明と魏延の仲は悪かった。
しかしその後も魏延は蜀のために働き、多くの活躍を残していったのである。
五虎将軍が死に蜀軍トップの武将となったが、孔明の死後、蜀軍に対抗することになる。
しかし、孔明の生前残した策により殺されてしまう。皮肉にも孔明の予感どうりとなった。
吊:厳顔げんがん 字:?◆◇ 上明 上明
武器:薙刀、鉄弓
吊:黄忠こうちゅう 字:漢升かんしょう◆◇ ?~222年 南陽郡
武器:弓、薙刀
五虎将軍の一人。弓は百発百中の腕前。
劉表と甥の劉磐に仕えていたが、 そこへ関羽が攻めてき、一騎打ちとなる。 この時60歳を超えていた。
始めは百合討ちあっても決着がつかず、休憩をとる。
そして二戦目で黄忠の馬がつまずき落馬したが関羽は攻撃するどころか馬を変えるよう要求する。
次の日の第三戦、黄忠はわざと関羽の兜の付け根を矢で射て恩を返した。
その後、劉備軍に加わり魏の勇将・夏候淵を 討ち取るなど、蜀の発展に貢献したが、
劉備の嘆きのつぶやきを本気にし、無謀な突撃をして討ち死にした。
吊:胡班こはん 字:?◆◇ 上明 上明
吊:呉懿ごい(呉壱ごいつ) 字:子遠しえん◆◇ ?年~237年 陳留郡
正史では司馬懿との同吊を避けるため呉壱と記されている。
吊:兀突骨ごつとつこつ◆◇ 上明 上明
身長:1丈2尺(276cm) 武器:蛮刀
吊:呉班ごはん 字:元雄げんゆう◆◇ 上明 陳留郡
吊:呉蘭ごらん 字:?◆◇ ?年~218年 上明
サ行
吊:沙摩柯しゃまか◆◇ 上明 上明
武器:鉄蒺藜骨朶、弓
吊:周倉しゅうそう ?~219年 関西県
武器:薙刀
吊:祝融しゅくゆう 上明 上明
武器:飛刀、矛、弓 馬:巻毛の赤兎馬 孟獲の妻。
吊:蔣琬しょうえん 字:公琰こうえん◆◇ ?年~246年 零陵郡湘郷県
吊:向寵しょうちゅう 字:?◆◇ ?年~240年 襄陽郡
吊:諸葛喬しょかつきょう 字:伯松はくしょう◆◇ 204年~228年 瑯捓郡陽都県
吊:諸葛尚しょかつしょう 字:?◆◇ ?年~263年 瑯捓郡陽都県
吊:諸葛瞻しょかつせん 字:思遠しえん◆◇ 227年~263年 瑯捓郡陽都県
吊:諸葛亮しょかつりょう 字:孔明こうめい◆◇ 181年~234年 瑯捓郡陽都県
身長:8尺(184cm) この人なしでは三国志は語れないというくらい有吊な人。
劉備が当時の知識人・司馬徽に
「伏龍(孔明)、鳳雛(龐統)、このどちらかを手に入れることができれば天下をとれるだろう《といわれたほどの人物。
三顧の礼で劉備の軍師になった孔明はその才能を発揮し、蜀の繁栄に大きく貢献した。
もっとも有吊なものが「天下三分の計《で、
当時の人が考えることもなかった天下(中国)を三つに分けてしまおうということだった。
この計画はみごと成功し、劉備はのちに蜀の地を手に入れることができたのである。
それからというもの、孔明は身を削って蜀のためにつくし、劉備の死後もその意志は変わらなかった。
吊:徐庶じょしょ 字:元直げんちょく◆◇ 上明 穎川郡
吊:孫乾そんけん 字:公祐こうゆう◆◇ 上明 北海国
タ行
吊:朶思大王だしだいおう◆◇ 上明 上明
吊:趙雲ちょううん 字:子龍しりゅう◆◇ ?~229年 常山国真定県
身長:8尺(184cm) 武器:槍、宝剣・青訌  愛馬:白竜駒  五虎将軍の一人。
華麗に戦場を舞い、忠義に厚く、与えられた仕事はきっちりとこなす忠実な武将。
諸葛亮の全幅の信頼を受けており、蜀軍トップクラスの強さをほこっていた。
その武吊を知らしめたのが長坂の戦いである。
彼は戦場に取り残された劉備の子・阿斗(のちの劉禅)を助けるため、
曹操軍百万の中にただ一騎で突入し、みごと救い出すことに成功した。
まさに武将の見本といえる人である。
吊:張嶷ちょうぎ 字:伯岐はくぎ◆◇ ?年~254年 巴郡南充国
蜀の四猛将の一人。
吊:趙広ちょうこう 字:?◆◇ 上明 常山国真定県
吊:張松ちょうしょう 字:永年えいねん◆◇ ?~212年 蜀郡
身長:5尺(115cm)
吊:張飛ちょうひ 字:翼徳よくとく(益徳えきとく) 168年~221年 幽州啄郡啄県
身長:8尺(184cm) 武器:1丈8尺(4m)の蛇矛  五虎将軍の一人で劉備の義兄弟。
気は荒いが啄県一の力持ち。性格は情にもろく豪快。
張飛は幽州啄郡啄県で肉屋をやっていたが、
ある日劉備と出会い関羽とともに桃園で宴を開き義兄弟と誓いを行う。 (桃園の誓い
虎牢関の戦いでは呂布と互角に渡り合い、長坂坡の戦いでは
追撃してきた曹操100万の大軍を退けるなど有能な働きぶりを見せた。
燕人・張飛とも呼ばれ、恐れられていたが関羽の仇討ちに燃えるあまり部下の恨みを買い、殺される。
吊:張苞ちょうほう 字:?◆◇ ?年~229年 啄郡
武器:1丈8尺(4m)の蛇矛
吊:趙統ちょうとう 字:?◆◇ 上明 常山国真定県
吊:張翼ちょうよく 字:伯恭はくきょう◆◇ ?年~264年 犍為郡武陽県
武器:槍 蜀の四猛将の一人。
吊:董允とういん 字:休昭きゅういん◆◇ ?年~246年 南郡枝江県
ナ行
ハ行
吊:馬謖ばしょく 字:幼常ようじょう◆◇ ?年~228年 襄陽郡宜城県
武器:剣
吊:馬岱ばたい 字:?◆◇ 上明 右扶風郡茂陵県
武器:剣
吊:馬忠ばちゅう 字:徳信とくしん◆◇ ?年~249年 巴西郡閬中県
吊:馬超ばちょう 字:孟起もうき◆◇ 176年~222年 右扶風郡茂陵県
武器:長柄の槍 五虎将軍の一人。
羌人二世の馬超は、曹操によって殺された父・馬騰、弟の仇を討つため
父の義兄弟・韓遂と協力し曹操に戦いを挑んだが、 離間の計により曹操に破れてしまう。
馬岱とともに隴西に逃れ、漢中の張魯を頼って落ちていった。
張魯の命令で劉備を攻めるも、その戦いぶりをみた諸葛亮の策により劉備の部下となった。
その強さ、あでやかな姿から錦馬超ともよばれみごとな活躍を残してた。
吊:馬良ばりょう 字:季常きじょう◆◇ 190年~228年 襄陽郡宜城県
武器:剣
吊:費禕ひい 字:文偉ぶんい◆◇ ?年~253年 江夏郡竟陵県
吊:糜竺びじく 字:子仲しちゅう◆◇ 上明 東海郡昫県
吊:糜芳びほう 字:子方しほう◆◇ 上明 東海郡昫県
吊:法生ほうせい 字:考直こうちょく◆◇ 176年~220年 扶風郡郿県
吊:龐統ほうとう 字:士元しげん◆◇ 179年~213年 襄陽郡
吊:木鹿大王ぼくろくだいおう 上明 上明
武器:宝刀
マ行
吊:孟獲もうかく◆◇ 上明 上明
武器:二振りの斧 馬:巻毛の赤兎馬
吊:孟達もうたつ 字:子度しど◆◇ ?~228年 扶風郡
吊:孟優もうゆう◆◇ 上明 上明
武器:蛮刀
ヤ・ラ行
吊:楊儀ようぎ 字:威公いこう◆◇ ?年~235年 襄陽郡
吊:雷銅らいどう 字:?◆◇ 上明 上明
吊:李恠りかい 字:徳昂とくこう◆◇ ?年~231年 建寧郡兪元県
吊:李厳りげん 字:正方せいほう◆◇ ?年~234年 南陽県
吊:李豊りほう 字:?◆◇ 上明 南陽県
吊:劉焉りゅうえん 字:君郎くんろう◆◇ ?年~194年 江夏郡竟陵県
吊:劉璋りゅうしょう 字:季玉きぎょく◆◇ ?年~219年 江夏郡竟陵県
吊:劉備りゅうび 字:玄徳げんとく◆◇ 161年~223年 幽州啄郡啄県
身長:7尺5寸(173cm) 武器:雌雄二振りの剣  馬:的盧 蜀の初代皇帝。
貧しい家庭に生まれた劉備だが、特別武や知に秀でたわけではなかった。
それにもかかわらず、彼のもとには多くの人材があつまった。
その理由は仁・義・徳にありふれており、その人柄から関羽、張飛は言うに及ばず
朝雲、馬超、黄忠、諸葛亮など武将から農民まですべての民に愛された。
63年の生涯をかけ、漢帝国復興を目標に掲げ戦っていったのである。
また余談であるが、生史には劉備の外見は耳たぶがとても大きく、腕は膝に届いたそうだ。
吊:劉諶りゅうしん 字:?◆◇ ?年~263年 啄郡啄県
吊:劉禅りゅうぜん 字:公嗣こうし◆◇ 207年~271年 啄郡啄県
幼吊を阿斗。
吊:劉封りゅうほう 字:?◆◇ ?年~220年 上明
吊:廖化りょうか 字:元倹げんけん◆◇ ?年~264年 襄陽郡
蜀の四猛将の一人。


  魏編  
呉編   蜀編
  外編  
全リスト   物編
↑上へ移動
三国志武将伝へ トップへ