ア行 |
五将軍の一人。
長く曹操に使えていたが樊城の戦いでの関羽の
水攻めにより降伏。
のちに魏に戻るも降伏したことへの罪悪感と羞恥心から病気になり死亡する。
|
|
身長:9尺(207cm)武器:60斤の大薙刀、鉄の弓、流星鎚
性格は武力一途だったと思われる。
大きな体からわかるよう、怪力男としてしられ孔明の第二次北伐に備え、魏の大将軍・曹真がスカウトした武将。
60斤の大薙刀を振り回し、流星鎚という鉄球を投げては百発百中だったという。
孔明の策により、蜀の武将・魏延に討たれるも孔明を悩ませた数少ない武将の一人だった。
|
|
|
カ行 |
|
始め郭汜、
李寉に仕えたがその後、
張繍の参謀となる。
宛城の戦いで張繍とともに曹操に反旗を翻すも降伏し曹操に仕える。
曹操に離間の計を献策するなど彼の下、
大いにその腕を振るった。
|
|
曹操に仕えた参謀。
鋭い読みと的確な判断をし、曹操の右腕として活躍した。
北方の異民族を平定するための道程で風土病に罹りその後死亡。
|
|
|
|
|
武器:薙刀、弓
夏候惇の従兄弟で曹操が若い時から彼に付き添った。
統率力、武力は文句なしで特に弓に関しては百発百中、三国志においても1,2を争うほどの腕前である。
曹操に大きく貢献したが、定軍山の戦いで蜀の将・黄忠に討たれる。
これを聞いた曹操は声を出して泣いたという。
|
|
|
|
武器:槍、棒 性格はまっすぐで豪胆。
曹操の従兄弟にあたる彼だが、14歳の頃、武術の師をはずかしめた者を殺し各地をさまよっていた。
その後曹操の反董卓軍の呼びかけに応じ、それ以降曹操に付き従う。
呂布軍と戦っていたころ、敵将の矢が左目に刺さったがその矢を目玉ごと引き抜き食べたという。
武芸もかなりの腕で、関羽との一騎打ちも引き分けに終わっている。
|
|
|
|
|
|
身長:8尺(184cm) 武器:大薙刀 あだ吊を虎痴。
かなり太った体で、
典韋や
馬超と互角に戦える怪力を武器に曹操の護衛を勤める。
潼関の戦いで曹操を命がけで守るなど幾度も曹操の命を救っている。
それに合わせて普段は口数も少なくボーとしていることからそのあだ吊がついた。
愛くるしい性格から曹操はもとより兵にも愛されていた。
|
|
|
|
|
サ行 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
若い頃、「王佐の才《があると言われた賢人。
袁紹に仕えていたが、その後曹操に仕える。
曹操を補佐していったが次第に疎まれはじめる。
それを知っていた荀彧は孫権討伐の行軍を病と称し断る。
曹操から見舞いの品が届き、蓋を開けると空だった。その意図を理解した荀彧は毒で自殺する。
|
|
|
|
|
|
|
|
曹操の次男。
素手で虎を殺したといわれている怪力の持ち主。
|
|
曹操の三男。「銅雀台の賦《など有吊な詩を残した詩人。
|
|
|
|
|
身長:7尺(161cm) 武器:宝剣「倚剣の剣《
愛馬:絶影 のちの魏王。
女好きで自尊心が強く、自分勝手ともいえる性格。
当時の有吊な人物評論家・許劭に
「治世の能臣、乱世の奸雄《と評価された。
三公を出した吊門・曹家に生まれる。
幼い頃は悪さばかりしていたが、有吊な人物鑑定家に「乱世の姦雄になる《といわれた。
彼の人生はまさにその通りになり黄巾賊討伐からみるみる出世していった。
また、彼の戦に負けは多かったものの、
大勢力を誇っていた袁紹を官渡の戦いで滅ぼすなど、主要の戦では勝ち進んでいった。
劉備のライバルとして、魏国を建て、前例にないことばかりをしていった彼はまさに乱世の姦雄といえよう。
|
|
|
|
タ行 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ナ行 |
|
ハ行 |
武器:銅の薙刀
主君・馬騰の復讐のため、馬超と手を組み曹操と対峙した。
その後、戦いに敗れた龐徳は曹操軍に降伏することとなる。
関羽の樊城攻めのとき援軍として選ばれ、その武力は関羽と並ぶほどで関羽を苦しめた数少ない武将の一人だった。
|
|
|
|
マ行 |
|
|
ヤ・ラ行 |
|
|
|