三国志余談
三国志の魅力 |
三国志には他のどの国にもどの時代にもない魅力がある
その魅力を勝手に分析してみると・・・ 1.時代がまだBC200ごろ(日本はまだ卑弥呼の時代)ってとこ 2.でてくる人物が個性的 3.三国にわかれてるから ※とある番組で三国だからこそお互いが影響しあうらしい たぶん言葉で表すことのできない魅力もあるとおもう 三国志ファンが多いのもよくわかる・・ |
最強の武将 |
三国志の魅力はなんといっても武将の強さ!!!
武だけで言ったら呂布、次が張飛、関羽と続くとおもうんだけど(ちょっと蜀より目線かな?) でも曹操の息子、曹彰は素手で虎を殺したらしいし他の武将もかなり強い もしこれがほんとなら今のK-1ファイター瞬殺だな・・・・ うそだと思うけどホントであってほしい |
絶世の美女 |
三国志には数多くの美女と呼ばれる人がでてくる
呂布を誘惑した貂蝉、張繍の叔父張済の未亡人鄒氏、曹操も魅了した二橋(大橋、小橋)などなど・・・ まぁ国土が国土だけに美人は多いと思うけど結局は誰が一番なんだろう |
赤兎馬の行方は・・・ |
一日に千里(約4000km)走るといわれている赤兎馬。
はじめは董卓に飼われていたが呂布が配下に加わってからは彼がのるようになった。 三国志正史(だったはず)では呂布の死後、赤兎馬は死んでいる。 しかし、演技ではそのまま死なずに関羽が乗ることになっている。 ちょっと蜀ひいきしすぎだとおもう今日このごろ・・・ しかし当時の主要な交通手段が馬だったんだから、そんな優秀な馬ならきっと種付けしているはず! もしかすると赤兎馬の子孫が今もいるかも・・・ |
個人的に好きな武将・王双 |
王双とは人材不足に悩んでいたころ、魏の曹真がスカウトした猛将である。
身長は2mを超え、60斤の大薙刀を振り回す怪力の大男なわけです。 その強さで大出世したわけだが三国志演技(おそらく他の本でも)ではあまりに出番が少ない 孔明の策であっさり殺されたんだがその強さは五虎将軍並みだったと勝手に解釈している・・ |
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昔のきまりごとは現代人から見ると変わったものが多い(俺だけ?)
自分のみつけたもので入朝不趨というものがある 臣下は天子の前では小走りで歩かなければならないらしい なんで小走り?と思うがたぶん考えてもきりがないだろうな〜 |
冷酷な男・董卓 |
この人ほど冷酷な人間はいないんじゃぁないでしょうか。
彼は投降してきた捕虜の手足を斬らせ、目をえぐり、舌をぬき、大鍋で煮殺したりしながら平然と酒を飲んだといいます。 今の平和な日本人でなくとも、戦争になれていた当時の農民・兵士でもおそらく見るに耐えない光景だったはずです・・・ 西洋の拷問は手足にヒモをつけ馬で引っ張ったりするとか結構残酷なものをよく聞くけど、 中国の拷問の歴史はもっとひどいんでしょうかね?(それとも彼が特別なだけ?) |
豪傑・張飛の素顔 |
張飛のイメージといえば熊のような顔に剛毛の髯で性格は悪く言えば単純バカというなことが想像される。
しかし実は張飛はかなりの美形だったという説もあるらしい。 その証拠としては二人の娘が劉禅に嫁いでいるというところにある。 皇帝に嫁ぐとなればそれ相応の美貌があるはずであり、その父親の張飛もまた美形だったのではないかという。 また張飛は漢詩が読めたらしく実は頭もよかったんではないだろうかという説もあるらしい。 三国志の根底から覆るような・・・ぜひともタイムマシンが欲しいものだ!! |
重大発見(?) |
最近気づいたことだが武将でナ行からはじまる人がいないのだ。
中国語の発音のせいだろうか、自分が知らないだけなのか・・・・ |
赤兎馬ってすごすぎ? |
ディープインパクトが三冠馬になったニュースを聞いて思ったが、赤兎馬は何歳で死んだのだろうか。
今考えられる最短で呂布が董卓から譲り受けた190年ごろから呂布が死んだ198年までで8歳。 当然これよりもながいはずだから9歳〜11歳ほどになる。 すこし調べてみると馬の寿命は現代の飼育された馬で20年、野生で10年前後になるようだ。 いくら飼われていたといっても1800年も前のことだから多く見積もって15年ほどだろう。 それだけならいいのだが190年〜198年までの8年現役で走り続けることができたのが驚きだ。 現代の競走馬としてのピークは4歳前後らしいので195年には確実にピークは過ぎている。 引退してからどれほど能力が落ちるかは不明だが若い馬にも負けず195年以降も現役でトップを走り続けるのはさすがとしかいえない。(おそらく創作上の生き物なのだろうが) しかし、呂布の死後、関羽に飼われていたというのは苦しくないか・・・(笑) |
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